弊社はお客様のその時々のニーズに基づき、日本産はもとより韓国産や中国産も取り扱っております。お客様が美容と健康に気を配り、体力維持にご活用いただけるような商品を追求して参ります。
品質を第一に考え、しかし価格の安定にも努め、そして価格以上の価値をご提供できるよう日々精進して参ります。
我々は高麗人参を仕入れる際、他社のようにすでに刻まれた原料やすでに粉末にされた原料を基本的には選びません。粉末になった状態では何年根か分かりません。粉末になった状態では純度は保証できません。粉末になった状態では品質第一とお客様にお伝えできません。弊社商品は、姿物を定温保管し必要に応じて濃縮液にしたり、粉末にしたり、刻んだりした物でございます。
幕末より続く泰盛社は、往時と変わることのない商いを続けております。お客様にとって、より確かな高麗人参選びのお手伝いができれば幸いです。
私たち泰盛社は、長野県小県郡依田村(現在の上田市丸子御嶽堂付近)で依田長吉により興されました。依田家は代々武士として、果樹栽培や養蚕などが盛んであったこの地域の経営にあたりました。やがて武士の世が終わり、昨日までの特権階級が独立して生計を立てねばならない時代が訪れます。
初代 依田長吉は地域の盟主として、従来の産業とは違った何かを積極的に探し求めました。そこで辿り着いたのが高麗人参の栽培でした。(長野県は一部が幕府の天領だったため)当時は幕府が統制していましたが、その許可を受けて着手したのが始まりであると伝わっております。
長吉は栽培だけでなく自ら加工も行い、さらには日本の産品として人気があった香港や台湾へ横浜から輸出しました。そしてついに、大正3年(1914年)に行われた万国博覧会に高麗人参(薬用人参と表記)を出品し、銀牌を皇族より下賜されるという名誉に与ったのです。
それから戦中や戦後を経ても変わることなく、高麗人参の栽培、加工と販売を続け、それは子供である依田亀三郎へと受け継がれ、依田喜久生の代には独自の販売ルートを開拓し香港や台湾、シンガポールなどに直接販売するに至ります。現在でも産地の農家との意見交換、新規農家への助言や栽培指導など高麗人参の普及にさらなる努めております。